2022/12/07 06:47


前回何処までお話しましたでしょうか。。。

富士山へ登った時の、続きの話です。


日が昇る少し前に山頂に到着し、

同じ目的のために時を待つ人々。


見ず知らずの人と同じ目的のために時を過ごすことはどれくらいあるでしょうか。

映画館の俳優。

コンサートの歌い手。

ダンスの踊り手。

。。。。。

そう、まさにその時の対象はみな同じで、それだけを真剣に見つめていました。


そこに漂う独特の静けさと、目線の先にある太陽。

もはや、なんでここに居るのだっけ。と、自分を失うほどにただそれだけを。


雲海から日がのぼると、登ってきた道とは別のルートを使って下山していきます。

この登山で何が1番大変だったかというと、下山です。

さらさらの力が分散されてしまう砂の上を1歩づつ下るその行為が、私の体力と筋力を極限まで奪いました。


人生の山登りも、必ず下山があるとは言いませんが、訪れるかもしれない未来のひとつ、それくらいには考えてもよいのではないでしょうか。

そのためにも山は小さいものから少しづつ登り始めていき、迫り来る下山への恐怖も、当たり前のように受け入れられる心の準備をしていく必要があるのではないでしょうか。

急には大きくなれない。突然大きな山に登れたとしても、突然の下山には耐えられない。


はじめての富士山登山の経験から、最近はそんなことを考えています。

大きな山を登ってみられる日の出の景色はとても美しいですが、取り扱いには充分ご注意を。



前半でお伝えしましたが、下山により私の身体はボロボロになり、翌日の仕事はお休みさせていただきましたとさ。

もうあんな経験はしたくありません。



221207

CACICO